5つのテーマに沿って各部屋に
樫尾俊雄が発明した製品を中心に
展示しています。
また発明品だけでなく、樫尾俊雄の
名言もパネルで展示しており、
まさに思想と発明品が
一体となった
樫尾俊雄の
内宇宙のような空間となっています。
樫尾俊雄が兄弟とともに発明した、
世界初の小型純電気式計算機「14-A」が展示されています。
樫尾俊雄が、1957年(昭和32年)に341個のリレーを使って発明した世界初の小型純電気式計算機「14-A」。当時は歯車を使った機械式の計算機が主流で、「14-A」の群を抜く機能・演算速度・静かさは、機械式を圧倒し、高い評価を得ました。この「14-A」は、国立科学博物館、米国のスミソニアン博物館にも収蔵されている歴史的な計算機です。
「14-A」に使われている独自開発のリレーの実物と、耐久性・信頼性を高めるために施した設計上の工夫を解説しています。
科学技術用計算機の元祖。歯車式のプログラムで科学技術用計算を実現したリレー計算機。
樫尾俊雄の開発思想を受け継ぎ、
後継者たちが進化させた電卓が展示されています。
一課に一台といわれた電卓を、一家に一台、一人に一台にしたカシオミニ。常識破りの6桁表示(演算は12桁)。発売後10ヶ月で100万台、シリーズ累計1,000万台を売り上げる大ヒット商品となりました。国立科学博物館が主催する2008年度重要科学技術史資料(未来技術遺産)に登録されました。
初めて開発した電子式卓上計算機。カシオは、リレー式計算機の開発後、業界をリードする存在でしたが、1962年、英国メーカーが世界初の電子式卓上計算機(=電卓)を発表。その後日本メーカーも電卓開発を始めました。卓上型で演算速度も速く静かな電子式。最先端の製品開発に遅れたらカシオはなくなる──こうした危機感からカシオは電子式計算機の開発に本格的に舵を切りました。この「001」には電卓として初めて7桁の定数記憶ダイヤルやメモリー機能を搭載しました。
多くの人々に音楽演奏を楽しんでもらうために開発した
電子キーボードやデジタルギター、電子管楽器などを展示しています。
カシオの電子楽器は「カシオトーン201」から始まりました。音楽が好きだった樫尾俊雄が抱いていたのは「演奏の難しいバイオリンやギター、尺八の音を自分の手で美しく奏でてみたい」という思い。悲願を叶えるべく、俊雄は従来にない発音システムである「子音・母音システム」を開発します。これにより、ピアノ・チェンバロ・オルガンなどの鍵盤楽器はもちろん、ハーブ・琴などの弦楽器、トランペット・トロンボーンなどの管楽器など29の音色を創り出すことに成功。「誰でも手軽に音楽を楽しめるようにしたい」というカシオの電子楽器の原点が、ここにあります。
音色:29音色
エレクトロニクス技術を駆使して独自の進化を遂げてきた
時計を展示しています。
カシオが発売した初めての腕時計。
樫尾俊雄は「時間は1秒ずつの足し算だ」と考え、計算機の技術を応用した新事業として時計を開発しました。カシオの時計1号機である「カシオトロン」は、大の月・小の月を自動で判別して、常に正しい日付を表示するオートカレンダー機能を世界で初めて搭載した腕時計です。
1976年(昭和51年)、世界初の世界時計・ストップウォッチ・カウンター・デュアルタイム機能を内蔵した高機能デジタルウォッチ「カシオトロンX-1」を発売。当時としては最先端の機能を搭載した製品の実現には、カシオ独自の電卓技術はもちろんのこと、最先端のCMOS-LSIの採用による低消費電力技術が大いに活かされた。
樫尾俊雄の書斎です。
発明のために、寝食を忘れてこの部屋にこもりました。
樫尾製作所は小さな下請け工場でした。俊雄は「自分が何か発明して、兄を助けることはできないか」と考え、樫尾製作所に加わります。俊雄が、発想力を生かし発明した製品のひとつが「指輪パイプ」でした。
戦後間もない物資不足の当時、誰もがたばこを根元ぎりぎりまで吸っていました。
俊雄は、仕事をしながら吸えるように、指輪型のパイプを考案。兄・忠雄が旋盤を駆使して作り、父・茂が売りに出かけ、「指輪パイプ」はヒット商品となり、後に計算機開発の資金として役立つことになります。
よけいなものはいりません。頭に浮かんだ考えをノートに書きます。考えが浮かんでくるまで、何日でも、この机に向かっていました。寝食さえ忘れ、池を見て、庭を眺め、緑の木々を見ていました。大きな窓から見える景色が、好きでした。