発明王エジソンに憧れた樫尾俊雄という少年がいた。長じて彼はリレー式電気計算機を発明し、カシオ計算機という会社が誕生、瞬く間に勃興した。この稀代の発明家に触れるために筆者は足しげく成城に通った。

冷たい風の午後、成城4丁目、かつて発明家樫尾俊雄が住んだ居宅に私は居る。足下に国分寺崖線が走る。多摩川が10万年をかけて削ったむき出しの台地から沸き上がるパワー。北の青梅から始まる崖線は、東の等々力まで走り続けるが、ここ成城4丁目でも高低差20メートルの急峻を見せ、生命のパワーを放つ。

今は「樫尾俊雄発明記念館」と呼ばれる居宅の「創造の部屋」に居る。静かだ。風の声もない。木も黙っている。鳥たちの囀ずりもない。静謐な時空の中で部屋を見渡す。いつ見ても懐かしい光景。左側に書棚があり、前にソファがある。大きなデスクがある。メモ帳と筆記用具が、つい今まで使われていたように置いてある。ここの主人は、ひらめきのままにこのデスクでメモを取った。集中が没頭になり、寝食をわすれること、二日、三日となる。反対側にもデスク。机上にメモ帳、鉛筆で書きかけたラフな設計図がある。万年筆、鉛筆、ボールペンなどの筆記用具が並んでいる。趣味のパイプが置いてある。

ある作家が、彼は、「宇宙の声を聞いた」という。たしかに宇宙のなにかを彼は感じていた。「無限てなんだ?」ある時、兄忠雄が聞いた。「なにも無いことだよ、兄さん」。弟俊雄が答えた。それが驚異の二進法、当時未熟だったアナログとデジタルだ。なにも無い。宇宙。そこに無限の可能性が潜むことに俊雄は気がついていた。0にある無限の可能性。そこから1を生み出す。「0から1を生み出す」。世界に衝撃を与えた発明家の言葉だ。

風の如き痩身。ほのぼのした長い顔。温かい目の光。普段は、「こんな話をしていいですか?」と、相手を気遣う。頭の回転の早さに口がついていかず、話し方はたどたどしい。話せば迸る言葉の数々は、相手を気遣い口数は抑えぎみ。だが、宇宙の声を聞くときの表情は普段の表情とは違う。一度モノ造りの話になると一変する。厳しい表情、口調、宇宙との約束を全霊で果たすかのように、一切の妥協を許さない。自分の会社の中で迷子になり、トイレに行ったまま帰ってこないことも度々。微笑ましさがあり、どこか憎めない愛らしさがあったと、彼を知る人々は口を揃える。

帰り、駅前カフェのオーナーが声をかけてくる。「また、記念館ですか?」「はい、また記念館です」。シャイな彼は、はたして皆さんとこういう会話をしただろうか。きっと、静かに頭を下げ、温かい笑顔を見せるだけだ。

「創造の部屋」のデスク

「創造の部屋」のデスク